新井白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者です。学問は朱子学にとどまらず、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘りました。一介の無役の旗本でありながら6代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担いました。家宣の死後も幼君の7代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てましたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折して8代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退。晩年は著述活動に勤しみました。
著書は多岐に亘り、
『藩翰譜(はんかんふ)』:諸大名の家系図を整理
『読史余論(とくしよろん』:日本の通史歴史書
『古史通(こしつう)』:古代史について書き、邪馬台国の位置を大和説と主張(のちに晩年に九州説に転じましたが)
『西洋紀聞(せいようきぶん)』:密入国したシドッチへの尋問後に記した西洋事情の書
『折たく柴の記(おりたくしばのき)』:回想録
などなど様々な書物を残しています。