正徳の治(しょうとくのち)は、1709年から1716年の間、江戸幕府において、6代将軍徳川家宣、7代将軍徳川家継のもとで、儒学者・新井白石が進めた文治政治のことです。5代将軍徳川綱吉の政治からの反動政策という面が強く、綱吉による「生類憐みの令」の廃止、「貨幣改鋳」によって綱吉前の金銀含有量に戻したり、貿易を制限したりしました。
文治政治で安定支配を目指した江戸中期と元禄文化江戸時代中期、幕府はそれまでの武力による高圧的な「武断政治」から、穏健的な「文治政治」へと支配体制を転換させます。 幕府の政治姿勢を変えるきっかけとなったのは、3代将軍徳川家光の死後に発生した「慶安の変」(「由井正雪の乱」)でした。 本記事では江戸時代中期に転換期を迎え繁栄を支えた政治体制から、安定した世の中で発展した元禄文化までを掘り下げています。 武断政治から文治政治へ:穏健主義で安定支配を目指した元禄時代 徳川綱吉:学問愛と「悪法」生類憐みの令 貨幣の改鋳:財政難に苦しむ幕府 新井白石と正徳の治 町人文化が花開く:元禄文化 江戸幕府中期の支配体制、その後の江戸時代に影響を与えた思想・文化までラジレキが独自解説します。09.発展する経済・文化 #22