ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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藤原良房

"藤原良房(ふじわら の よしふさ)は、藤原北家隆盛のさきがけとなった冬嗣の次男として生まれました。823年には、嵯峨天皇の皇女と結婚します。当時、天皇の娘が臣下に嫁ぐというのは前代未聞のことであり、これ以降もあまり例がないことです。嵯峨天皇は、良房の器量を愛していたこともあり、天皇の娘と結婚したため、冬嗣の長男である兄を差し置いて出世の階段を駆け上ります。

嵯峨上皇の死後には、承和の変を主導して、入り組んだ状態になっていた皇位継承を嵯峨系統に一本化することに成功。自分の甥っ子である文徳天皇の即位に至る流れを作って、藤原北家の勢力基盤を固めます。承和の変で皇太子となり、その後天皇となった文徳天皇の后には自分の娘を送り込んでおり、文徳天皇と自分の娘の間に皇子が生まれました。この自分の外孫(娘の子)を皇太子に付けることに成功し、857年には太政大臣に叙任されました。これは、道鏡以来90年ぶりのことでした。858年に文徳天皇が死去すると、良房の外孫である当時9歳の清和天皇が即位。まだ幼く政務をとれない清和天皇の即位を以て、良房が人臣初の摂政となったと考えれています。

866年には応天門の変が生じ、伴氏一族を追い落としました。869年に貞観の公布、871年に貞観の公布、869年に続日本後紀を完成しました。872年に死去。

息子には恵まれなかったため、兄の息子である藤原基経を養子として、後継者としました。"

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