愛国社(あいこくしゃ)は、明治時代の自由民権運動前期の政治団体です。明治8年(1875年)2月22日、大阪会議に参加した板垣退助が、大阪で旧愛国公党の同志に再結集を呼びかけて創設しました。しかし、結成後間もなくして、板垣が政府の参議に復帰した上、西南戦争で西郷軍に参加した者も多く、愛国社は自然消滅してしまいます。
明治11年(1878年)4月に立志社が中心となり、愛国社の再建を決定し、愛国社再興会議を開催。翌明治12年(1879年)3月27日-4月2日、大阪で第2回大会が開催されました。さらに11月7日から13日まで大阪で開催された第3回大会では、国会開設実現を目標とする全国規模の請願運動を組織することを決定し、こ愛国社は全国的な国会開設運動の中心となっていきました。
明治13年(1880年)3月15日から4月9日までの第4回大会において、愛国社は発展的に解消し、別組織として国会期成同盟が発足しました。