ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

日本史の学び直し.com

  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
  • 戦後、そして現代の日本
ラジレキ

守護

守護は、鎌倉幕府と室町幕府によって設置された武家の職制で、国単位の軍事指揮官・行政官を意味します。追捕使が原型です。源頼朝により守護・地頭の設置と任免権が認められるのですが、これは元々頼朝と敵対関係になった「源義経を追捕する」ことが名目となって認められました。後白河法皇は、平家が滅亡したあと、鎌倉の勢力がただ強くなることを懸念し、義経と頼朝を仲違いさせようと画策します。この中で、義経に「頼朝追討の院宣」を出してしまったのですが、頼朝の名代として、北条時政が大軍を率いて京都に上洛すると、この院宣を後白河は撤回します。「義経に脅迫されて出しちゃったんだ、ごめんちゃい」としたわけです。そこですかさず「義経はとんでもないやつですね!それは朝廷としても放置できませんよね。鎌倉幕府が追捕します。そのために全国に守護を配置していいですよね?断る理屈ありませんよね?」ということで、認めさせることに成功。その後、幕府の職制に組み込まれました。室町時代にも残りますが、織豊政権成立後に自然消滅。守護の職務は、軍事・警察的な職務に限定され、国司の行政への関与や国衙領の支配は禁じられましたが、在地武士の被官化は次の室町時代に進展しました​。

関連する学び直しノート