地頭(じとう)は、鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職。守護とともに設置されました。守護が「国」ごとであるのに対し、地頭は「荘園」ごとに設置されたものと思っておいてください。こちらも守護とともにその任免権を頼朝が1185年に認められました。
そもそも「地頭」という単語は、現地を意味し、そこから転じて「現地のマネージャー」という役割を意味する言葉となりました。荘園領主・国司(知行国主)が、所有する荘園・国衙領(公領)を現地で管理し領主へ年貢を納める職ってことですね。頼朝が地頭の任命権を持つと在地の御家人の中から選ばれました。ただ年貢の管理をするだけでなく、荘園・公領において武力に基づき軍事・警察・徴税権を持つこととなり、最終的に御家人の実質的な所領として認めらていったのでした。徐々に貴族などの権力や財源が地頭に侵食されていくさまは、「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉として残っています。