第74代天皇。在位1107年‐1123年。堀川天皇の子どもで、白河天皇の孫。父・堀川の死後にわずか5歳で天皇に即位。当然政務が取れるわけもなく、祖父・白河の院政によって政治が動かされます。白河法皇の養女である藤原璋子(待賢門院)を中宮とします。この待賢門院との間に生まれた第1皇子(崇徳天皇)に1123年に譲位しますが、引き続き実権は白河法皇が握り続けます。1129年に白河がなくなると、鳥羽上皇による院政がスタート。白河法皇に疎まれていた前関白・藤原忠実(頼通の曾孫)を呼び戻し、白河法皇のスタッフを一掃して、院の要職を自分の側近で固めます。1133年ごろからは白河養女の待賢門院に代わって、藤原得子(美福門院)を寵愛するようになります。1141年には当時23歳であった崇徳天皇に譲位をさせて、まだ3歳であった美福門院所生の近衛天皇を即位させました。しかし、1155年に近衛天皇が早世すると、崇徳上皇は自分の息子が天皇に即位できると思っていたら、鳥羽は崇徳の同母弟である後白河天皇を即位させました。皇位継承を巡る軋轢・怨念を生じさせたなか、翌1156年に鳥羽法皇は死去。その後に保元の乱が勃発するのでした。
ざっくり用語解説
鳥羽法皇
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