五大老(ごたいろう)とは、豊臣秀吉政権末期の有力大名である徳川家康・前田利家(死後は息子の前田利長)・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景(死後に上杉景勝)の五大名を指す言葉です。慶長3年(1598年)夏、死の床にあった秀吉は、嫡子・豊臣秀頼成人までの政治運営にあたっては、前記の有力大名5人(既に病没していた小早川隆景を欠く)と石田三成ら豊臣家吏僚による合議制をとることを遺命しました。ただ、子の中でも徳川家康は終始、特段の地位を保持し続けていました。どちらかといえば、徳川家康の勢力を封じ込めるための枠組みだったと言えるかもしれません。
ざっくり用語解説
五大老
関連する学び直しノート
織豊政権:天下統一への道と近世の幕開け
応仁の乱以降、下剋上のムードが広がり、未曽有の混沌とした時代に突入した日本。数々の戦国大名たちが相争う中、頭角を現したのは尾張の織田信長でした。 織田信長が始め、豊臣秀吉によって完成された、全国統一。 本記事では、近世の幕開けへと続く道のりを詳しく掘り下げています。 織田信長がいかに権力を拡大したか 経済政策「楽市・楽座」とは 天下統一達成までの道 太閤検地と刀狩の狙い 秀吉が海外進出を試みた理由 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
08.幕藩体制の始まり #20
江戸幕府の成立︰徳川家康による秩序と統治体制
豊臣秀吉の死後、政権を握ったのは徳川家康でした。関ケ原の戦いで勝利した家康は、その後豊臣家を滅ぼし、約260年も続く江戸幕府の礎を築いたのでした。 本記事では、徳川家康が江戸幕府を成立させるまでの流れと、江戸幕府がいかにして安定的な統治の基盤を構築したのかを解説します。 江戸幕府が成立するまでの流れ 江戸幕府の統治体制 江戸幕府の外交政策 鎖国に至るまでの背景 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
08.幕藩体制の始まり #21