石田三成(いしだ みつなり)は、豊臣家の家臣として、豊臣政権において、五奉行のうちの一人となって活躍しました。戦争よりも官僚としての才能に恵まれて豊臣秀吉に愛されました。そのため、豊臣家直属の武将たちと仲が悪く、「口先だけのやつめが偉そうにしているわ」と嫌われてしまっていました。現代においても、営業や工場の現場に対して、上から目線で本社の企画畑や財務の人間が数字だけでモノを語ると嫌われますよね?そんな感じだったと思ってください。ただ、石田三成本人としては、「豊臣政権のため!」と思って働いていました。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織しましたが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑されました。
ざっくり用語解説
石田三成
関連する学び直しノート
織豊政権:天下統一への道と近世の幕開け
応仁の乱以降、下剋上のムードが広がり、未曽有の混沌とした時代に突入した日本。数々の戦国大名たちが相争う中、頭角を現したのは尾張の織田信長でした。 織田信長が始め、豊臣秀吉によって完成された、全国統一。 本記事では、近世の幕開けへと続く道のりを詳しく掘り下げています。 織田信長がいかに権力を拡大したか 経済政策「楽市・楽座」とは 天下統一達成までの道 太閤検地と刀狩の狙い 秀吉が海外進出を試みた理由 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
08.幕藩体制の始まり #20
江戸幕府の成立︰徳川家康による秩序と統治体制
豊臣秀吉の死後、政権を握ったのは徳川家康でした。関ケ原の戦いで勝利した家康は、その後豊臣家を滅ぼし、約260年も続く江戸幕府の礎を築いたのでした。 本記事では、徳川家康が江戸幕府を成立させるまでの流れと、江戸幕府がいかにして安定的な統治の基盤を構築したのかを解説します。 江戸幕府が成立するまでの流れ 江戸幕府の統治体制 江戸幕府の外交政策 鎖国に至るまでの背景 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
08.幕藩体制の始まり #21