熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)は、江戸時代初期の陽明学者で、中江藤樹の門人です。岡山藩の池田光政に仕えて、大胆な藩政改革を実施しました。しかし、守旧派の家老らとの対立をもたらし、また、幕府が官学とする朱子学と対立する陽明学者である蕃山は、保科正之・林羅山らの批判を受けました。このため、1657年、39歳で岡山城下を離れて隠棲し、1658年には京都に移って私塾を開きました。私塾には、蕃山の教えを乞う多くの大名・武士・町人たちが訪れて、蕃山の名声はますます高まりました。そのため、時の京都所司代によって京都追放となり、播磨国明石藩主松平信之の「預かり」となりました。「預かり」というのはまあ監視下に置かれての生活となったわけですが、比較的に自由に過ごすことが許されたようで、著述活動に専念しました。しかし、その書物の中で幕政批判をしたとされ、1687年には蟄居謹慎(自宅軟禁処分)となりました。