ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
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保科正之

保科正之(ほしな まさゆき)は、江戸時代前期の大名。会津松平家の祖です。第2代将軍・徳川秀忠の子どもではあるんですが、正妻の子ではなく、3代将軍・徳川家光の異母弟です。生まれたときには、「嫁にバレたらやべぇ」と恐妻家の秀忠がビビり散らかしたので、正之の出生については秀忠側近の数名のみが知っていて、早々に保科家に養子に出されたのでした。正之は、その後長じて徳川秀忠の息子だと知られて、松平姓を名乗ることを許されても、保科家への恩を忘れずに修正保科姓を通し続けました。3代将軍・家光と4代将軍・家綱を輔佐し、幕閣に重きを成しました。また、領国経営も非常に巧みで、正之が移封された際には、元の領民たちが地元から逃げて、正之の新領地の方に押しかけてきたという記録が残っています。その数、なんと3,000人。上からも下からも愛された人物でした。

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