中江藤樹(なかえ とうじゅ)は、近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者です。郷里で私塾を開いていましたが、藤樹の屋敷に藤の巨木があったことから、門下生から「藤樹先生」と呼ばれるようになりました。最初は、朱子学者でしたが、次第に陽明学の影響を受けていき、陽明学者に転じます。彼の説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、武士だけでなく農民、商人、職人にまで広く浸透したため、江戸の中期頃から、自然発生的に「近江聖人」と称えられました。代表的な門人として熊沢蕃山がいます。
明治以降に内村鑑三によって『Representative Men of Japan』1894(『代表的日本人』)の中で取り上げられました。