生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)は、江戸時代前期、江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉によって制定された「生類を憐れむ」ことを趣旨とした動物・嬰児・傷病人保護を目的とした諸法令の通称です。1本の成文法ではなく、綱吉時代に行われた生類を憐れむことを趣旨とした諸法令の総体です。
保護する対象は「犬」ってイメージが強いですが、重要なことは「人」も対象に含まれています。当時は、たとえば生まれた子を育てられないからと捨てたり、病人や高齢者などの弱者を切り捨てたりしたわけです。姥捨て山ってやつですね。その上で、動物なんです。対象とされた動物は、犬、猫、鳥、魚、貝、虫などにまで及びましたが、漁師の漁は許容され、一般市民はそれを買うことが許されたとの説もあります。
宝永6年(1709年)正月、綱吉は死に臨んで世嗣の家宣に、自分の死後も生類憐みの政策を継続するよう言い残しましたが、同月には犬小屋の廃止の方針などが早速公布され、犬や食用、ペットなどに関する多くの規制も順次廃止されていきました。ただし、牛馬の遺棄の禁止、捨て子や病人の保護など、継続した法令もあります。
この生類憐みの令に関する評価ですが、大きく変化がありました。
まず、当時を生きていた人々からすると、庶民の生活に大きな影響を与えましたので、「天下の悪法」と同時代の人々からは評価されていました。綱吉死後の政権に関与した新井白石は、『折たく柴の記』などの回想録などで生類憐み政策を批判しています。この評価がずっと強く残り続けます。
しかし、1980年代以降の研究では、生類憐れみの令は儒教に基づく文治政治の一環であるとして、再評価がなされてきました。生類憐みの令の一環として出された「捨て子禁止令」(1690年)が綱吉の死後も続いたことから、生類憐みの令は、子どもを遺棄することが許される社会から許されない社会への転換点となったと評価されます。すなわち、子どもを遺棄する行為が悪と考えられるようになったわけです。言い換えれば、それまでは子ども遺棄する行為は「まあ仕方ないよね」と思われていたってことです。
これは、皆さん思い出して欲しいことですが、昔は「飲酒運転」は「まあ仕方ないよね」とされていました。しかし、2006年に福岡で飲酒運転の結果、幼児も含む多数の犠牲者が出た交通事故が発生して社会の空気が一変。飲酒運転は、絶対悪へと転換しました。それまで、2005年に出された「飲酒運転同乗者罰金制度の導入」などは、「なんで同乗者まで罰金なんだよ!やりすぎだ!」と庶民は悪法と評価していたわけです。生類憐みの令もこういった側面で、庶民の「感想」と政策意図に対する「評価」の区別は重要ですね。
というわけで、それまで歴史教科書でも生類憐みの令は「悪法」という扱いでしたが、1990年代末からは社会の変革を意図した法であるという解説も多くつけられるようになったのです。