文治政治(ぶんちせいじ)とは、特に江戸幕府4代将軍徳川家綱から7代将軍家継までの時期の政治を指す言葉です。それ以前の3代将軍・家光までの政治は武断政治と言われました。武断政治とは、幕府の武力を背景に威圧的に大名を統制し、「江戸幕府の言うことを聞け!聞かないと痛い目にあわすぞコラ!オンドレ」というヤクザなやり口ですね。参勤交代やお手伝い普請(公共事業を大名に押し付ける)などで大名の経済力をそぎつつ、幕府に逆らう大名は、親藩・譜代・外様の区別なく容赦なく改易、減封の処置を行いました。そのため、幕府の政治権力は高まり、幕府の基盤は固まりましたが、その一方で勤め口を失った浪人(失業武士)が大量発生してしまい、彼らは戦乱を待望し治安が悪化してしまいました。
由井正雪の乱などを踏まえて、「ちょっとやり過ぎたなコリャ」と江戸幕府は反省し、穏健的な文治政治へと転換しました。
具体的にやったこととしては、
・末期養子の緩和
・大名の家臣からの人質廃止(ただし、大名の正妻・跡継ぎについては引き続き江戸在住≒人質)
・殉死禁止令
などが挙げられます。