第35代天皇。皇極天皇はもともと、推古天皇のあとをついで第34代天皇となった舒明天皇(30代敏達天皇の孫)の皇后でした。といっても皇極天皇自身も皇族で、舒明天皇の異母兄弟の娘です。なので、系図上では、オジさんと姪っ子の結婚です。現代では認められませんが、古代日本では、異母兄弟は兄弟ではないといった運用がされていたので、OKでした。舒明天皇との間に、中大兄皇子や大海人皇子をもうけました。
舒明天皇死後に天皇として即位しますが、息子の中大兄皇子が645年に乙巳の変を起こして蘇我氏を除外、滅亡させる事件が起きると、退位します。中大兄皇子は皇位を辞退したため、皇極天皇の弟(中大兄皇子の叔父)である孝徳天皇が第36代天皇として即位します。
この孝徳天皇と中大兄皇子が喧嘩して、孝徳天皇は失意のうちに死去。まだ天皇になりたくない中大兄皇子は、皇極上皇に再び、天皇に即位することをお願いして、第37代天皇として重祚(ちょうそ、一度帝位を降りた人が再び帝位につくこと)します。なので、第35代天皇としては、皇極天皇なのですが、第37代天皇としては斉明天皇とよばれます。どちらも同一人物です。ややこしいですね。