伊達政宗(だて まさむね)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての出羽国(山形県)と陸奥国(宮城県・福島県)の武将・戦国大名、仙台藩の初代藩主です。伊達氏の第17代当主。幼少期に天然痘に罹患して、一命を取り留めたものの、右目を失明しました。このことから、「独眼竜政宗」というあだ名で有名です。仙台駅前には、三日月の前立の兜をした騎馬姿の銅像がたっていますが、戦国時代でも屈指の人気者です。その人気の所以は、特徴的な風貌のみならず、「遅れてきた風雲児」といったところでしょうか。圧倒的な戦争遂行力を持っていましたが、時代は戦国の終焉を迎えつつありました。本能寺の変の時点で、まだ16歳でしたので、生まれがあと10年でも早ければ歴史は大きく変わっていたかもしれませんね。秀吉の小田原攻めの際に秀吉に降伏。その後、朝鮮出兵にも参加しました。関ケ原の戦いでは、徳川家康に味方して、本領安堵。大坂の陣にも参戦しました。秀吉・家康に臣従しながらも、天下を窺っていたとの噂が絶えない人物でしたが、江戸時代も秀忠の世になるとおとなしくなっていったそうな。
ざっくり用語解説
伊達政宗
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