本能寺(ほんのうじ)は、京都市にあるお寺で、本能寺の変の舞台となった場所です。もともと、信長が京都に滞在する際の宿所として利用していました。現在も京都市中京区下本能寺前町に本能寺はありますが、こちらは移転後の場所ですので、本能寺の変があった場所とは違っています。旧地の元本能寺南町には京都市立本能小学校がありましたが、1992年(平成4年)廃校となり、その後発掘調査が行われました。それにより、織田信長の定宿だった当時の遺構が発見されました。また、2007年(平成19年)マンション建設に伴う遺構調査では、本能寺の変において焼けたと思われる瓦などが堀跡のヘドロの中から見つかり、話題となりました。
ざっくり用語解説
本能寺
関連する学び直しノート
織豊政権:天下統一への道と近世の幕開け
応仁の乱以降、下剋上のムードが広がり、未曽有の混沌とした時代に突入した日本。数々の戦国大名たちが相争う中、頭角を現したのは尾張の織田信長でした。 織田信長が始め、豊臣秀吉によって完成された、全国統一。 本記事では、近世の幕開けへと続く道のりを詳しく掘り下げています。 織田信長がいかに権力を拡大したか 経済政策「楽市・楽座」とは 天下統一達成までの道 太閤検地と刀狩の狙い 秀吉が海外進出を試みた理由 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
08.幕藩体制の始まり #20
江戸幕府の成立︰徳川家康による秩序と統治体制
豊臣秀吉の死後、政権を握ったのは徳川家康でした。関ケ原の戦いで勝利した家康は、その後豊臣家を滅ぼし、約260年も続く江戸幕府の礎を築いたのでした。 本記事では、徳川家康が江戸幕府を成立させるまでの流れと、江戸幕府がいかにして安定的な統治の基盤を構築したのかを解説します。 江戸幕府が成立するまでの流れ 江戸幕府の統治体制 江戸幕府の外交政策 鎖国に至るまでの背景 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
08.幕藩体制の始まり #21