藤原頼経(ふじわら の よりつね)は、鎌倉幕府の第4代征夷大将軍。摂政・関白を歴任した九条道家の三男で、藤原摂家から迎えられた摂家将軍、藤原将軍。九条頼経とも呼ばれます。両親ともに源頼朝の同母妹である坊門姫の孫であることから、源氏将軍とは遠縁ながら血縁関係にあることから、源頼朝直系が断絶したため将軍として迎えられました。その時、数えで2歳でした。幼名は「三寅(みとら)」と言いました。当然幼児で将軍の業務なんてできませんから、頼朝の正妻である北条政子が尼将軍として、将軍の代行をしました。1221年に承久の乱がおきると、尼将軍政子が御家人を奮い立たす演説の際に抱っこされているところが彼の人生のハイライトかもしれませんね。
その後、成長した藤原頼経は、反執権・反北条勢力に利用されるようになり、第5代執権北条時頼によって京都へ追放されてしまいました。(宮騒動)。