中臣鎌足の次男として生まれました。生まれたときは中臣姓でしたが、父鎌足の死の直前に「藤原」姓を賜り、以降藤原姓を名乗るようになります。
不比等は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿・政治家として活躍。草壁皇子と持統天皇、文武天皇、元明天皇、元正天皇に至る4代の天皇に仕え、大宝律令や日本書紀の編纂に関わりました。
文武天皇に自分の娘である宮子を嫁がせ、さらに文武と宮子の間に生まれた首皇子(おびとのみこ、のちの聖武天皇)に、これもまた自分の娘である光明子を嫁がせました。
以降、藤原氏は外戚の地位を得ることも多くなり、日本最大の氏族としての藤原氏繁栄の礎を固めていきました。