将軍後見職(しょうぐんこうけんしょく)は、江戸時代後期、幕末に新設された政事総裁職、京都守護職と並ぶ江戸幕府の三要職の一つです。
安政5年(1858年)、年少の徳川家茂が14代将軍に就任したため、同じく年少で将軍に付いた4代将軍・徳川家綱時の保科正之、11代将軍・徳川家斉における松平定信を先例にして、御三卿・田安家の徳川慶頼が任命されました。ただし、実際には大老・井伊直弼が形式的に擁立したもので正式な役職でもなく、実権もありませんでした。そして、桜田門外の変が起きたあと、文久2年(1862年)5月、朝廷内部に幕府内の親井伊派の処分を要求する動きがあると、「家茂成人」を理由に井伊に擁立された慶頼が後見職から退きました。
続いて朝廷から、御三卿・一橋家の徳川慶喜を幕府の正式な役職としての将軍後見職に任じるように要求があり、これを受けて同年7月に慶喜が幕府の正式な役職として新設された将軍後見職に任命されました。元治元年(1864年)3月、慶喜が禁裏守衛総督に転じたために廃止されました。