第83代天皇。在位1198-1210年。後鳥羽天皇の第一皇子として生まれ、後鳥羽天皇の譲位によって数え3歳にて即位しました。後鳥羽院政が敷かれていたため、政治の実権は父に握られっぱなしで、土御門の穏健な性格が幕府との関係上心もとないと後鳥羽に判断されて、異母弟である順徳天皇に譲位をさせられました。また、承久の乱では父の倒幕計画に反対をしていました。そのため、乱後も鎌倉幕府は土御門上皇を配流するつもりはなかったのですが、「父が流罪になるのに自分が京にとどまるわけにはいかない」と自ら配流を望みました。最初は土佐、次いでより京都に近い阿波へと流されましたが、鎌倉幕府も後鳥羽・順徳両上皇とは違って、現地守護に対して土御門のために御殿を造営させるなど好待遇を与えました。そのまま、阿波で死去します。
承久の乱後に天皇位を継承した後鳥羽の同母兄の家系(86代後堀川→87代四条)が断絶すると、1242年、京都に残っていた土御門の息子が、88代後嵯峨天皇として即位し、現代の天皇家にまで土御門の血は流れ続けています。