第84代天皇。在位1210年-1221年。後鳥羽の息子で、土御門の異母弟です。父の後鳥羽は早々に院政を敷きたくて、土御門がまだ数え3歳で譲位しましたが、成長した土御門の温厚な性格を朝幕関係が流動化する時勢に物足りなさを覚え、順徳を自分の後継者とします。1210年には兄に代わって天皇に即位しました。順徳はわりとイケイケな雰囲気が歴史書から伝わっており、父の後鳥羽上皇以上に鎌倉幕府の打倒に積極的でした。1221年4月に順徳は自分の息子に譲位をし、父・後鳥羽上皇とともに身軽な上皇の地位となって、5月に承久の乱を引き起こしました。結果はあえなく失敗。順徳は、佐渡に流されました。1242年に同地で死去しましたが、これは、1242年に京都に残っていた自分の息子ではなく、兄・土御門の息子(こちらも同じく京都に残っていました)が後嵯峨天皇として即位したことを受けて、自らの帰京と子孫への皇位継承が断たれたことによるショックで、絶食の末の事実上の自殺の可能性も指摘されています。
百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり(百人一首100 順徳院)