平徳子(たいら の とくし/のりこ)は、第80代天皇・高倉天皇の皇后で、第81代安徳天皇の生母です。父は平清盛、母は正妻・平時子。1185年の壇ノ浦の戦いで、安徳天皇・時子は入水、平氏一門が滅亡しますが、徳子は生き残り京へ送還されて出家、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔ってその生涯を閉じました。
『平家物語』「灌頂巻」では大原を訪れた後白河法皇に自らの人生を語り、全巻の幕引き役を担います。
ざっくり用語解説
平徳子(たいら の とくし/のりこ)は、第80代天皇・高倉天皇の皇后で、第81代安徳天皇の生母です。父は平清盛、母は正妻・平時子。1185年の壇ノ浦の戦いで、安徳天皇・時子は入水、平氏一門が滅亡しますが、徳子は生き残り京へ送還されて出家、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔ってその生涯を閉じました。
『平家物語』「灌頂巻」では大原を訪れた後白河法皇に自らの人生を語り、全巻の幕引き役を担います。
平安時代後期、藤原頼通以降、藤原氏を外戚としない天皇が即位し、天皇を譲位した後の上皇が政治を担う「院政」が始まり、藤原氏の影響力は低下していきます。 後三条天皇の即位と荘園整理 白河上皇による院政 鳥羽上皇による院政の継続 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
05.武士階級の台頭 #13
平安時代末期、保元の乱は武士の助力無しでは解決できなかったため、その後武士の存在感が高まり、平清盛を中心とする平氏が勢力を高めていきます。 しかし、平氏は、藤原氏の摂関政治の形を踏襲し、貴族社会と徐々に対立を深めたことで内乱が勃発し、最終的に源頼朝によって日本で初めて武士による武士のための政権が誕生することになります。 保元の乱と平治の乱 源平の争乱と平家の滅亡 鎌倉幕府の成立 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
05.武士階級の台頭 #14
鎌倉幕府が成立した後は、北条時政ら北条一族が実権を握る執権政治が行われました。源氏将軍の時代が3代で終わりを迎えたことで、朝廷は承久の変を起こし、幕府に対して反乱を起こしますが、幕府はこれを圧倒します。 北条一族による執権政治 承久の変:朝廷の幕府に対する反乱 御成敗式目の成立 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
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