逆コースとは、第2次大戦後の冷戦激化の中で現れ、対日講和条約発効とともにいっそう顕著となった、戦後民主主義を否定し、戦前への復帰をめざす動向をいいます。
東西両陣営の対立激化にともない、1948年以降アメリカの対日占領政策が転換し、自由主義陣営の一員としての日本経済の復興が進められました。
また、1950年に入ると共産党弾圧、職場でのレッドパージが行われ、朝鮮戦争後は公職追放が解除されて旧政財界人等の復帰がはじまり、マッカーサー最高司令官の命令による警察予備隊の編成が再軍備に繋がっていきます。
1951年9月、サンフランシスコ講和条約の締結で一応独立を回復した日本は、日米安全保障条約にその安全をゆだね、なし崩し的再軍備をすすめていきました。
こうした現象を読売新聞が「逆コース」と規定して新聞紙面で連載を設け、その後定着しました。