ダグラス・マッカーサー(英語: Douglas MacArthur)は、アメリカ陸軍元帥、連合国軍最高司令官、国連軍司令官を歴任したアメリカ合衆国の陸軍軍人です。
1880年に南北戦争にも従軍した軍人の息子として生まれ、1903年にウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業し、1918年に第一次世界大戦に参戦。師団参謀長として13の勲章を受勲しました。1919年には史上最年少で同士官学校の校長に就任、1925年には最年少でアメリカ軍の少将に就任、1930年には最年少でアメリカ軍参謀総長に就任しました。
マッカーサーは、生粋のエリート軍人なわけです。
1935年にフィリピン軍の創設に携わると、翌1936年にはフィリピン軍の元帥となりましたが、太平洋戦争でフィリピンからの撤退を余儀なくされます。フィリピンを離れる際の言葉が「I shall reture」でした。ちなみにこれはマッカーサーの軍歴の中では数少ない失態でした。しかし、その後、フィリピン奪還に成功し、1944年にアメリカ陸軍元帥に就任しました。
第二次世界大戦後、1945年から1950年まで連合国軍最高司令官(GHQ)として各種の占領政策を行って、日本の民主化を進めたほか、国民主権・平和主義などを柱とする日本国憲法の制定に影響を与えました。
1950年には朝鮮戦争における国際連合軍総司令官として仁川上陸作戦を成功させましたが、中華人民共和国の人民解放軍との戦いに劣勢がみられ、北部の平壌から38度線まで撤退。その後、核兵器を用いた中国との全面戦争を主張したことなどからアメリカ大統領のトルーマンと戦略が対立し、1951年に解任されました。
退任後は、日本からも離れて本国に帰還。1951年4月19日、ワシントンD.C.の上下院の合同会議に出席したマッカーサーは、退任演説を行います。最後に、ウェストポイント陸軍士官学校に自分が在籍していた当時(19世紀末)、兵士の間で流行していた風刺歌のフレーズを引用して、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と述べました。
1952年の大統領選挙に出馬することを試みましたが、支持が集まらずに断念。政治・軍から離れた生活を過ごして、1964年に84歳で死去。