王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)とは、武家政治を廃して、天皇を中心とした政体に復した政治転換を目指したものです。岩倉具視ら倒幕派公卿と、尾張藩、越前藩、土佐藩、安芸藩、薩摩藩の5藩による政変、クーデターであり、これに対して幕府体制派は鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争へと内戦に向かっていくことになりました。
第15代将軍・徳川慶喜の大政奉還を受けて、慶応3年12月9日(1868年1月3日)、京都御所の御学問所にて明治天皇より勅令「王政復古の大号令」が発せられ、
・幕府廃止
・摂政・関白等の廃止
・総裁・議定・参与の三職の設置
によって、神武天皇の創業のはじめに基づいて、公議をつくすことが宣言されて、新政府が成立しました。
大政奉還後も朝廷の委任により当面庶政を担っていた幕府は、これによって廃絶を宣言されましたが、同時に朝廷(摂関以下の公家衆の機構)もまた廃絶となって、「天下の公議」による政治を行うため、天皇の下で従来の朝廷の身分秩序を超えて公家・諸大名・諸藩士から登用する新政府が発足することとなったのです。
しかし、そこから排除された徳川家・旧幕府勢力の実体は依然存在しているわけですし、この新政府内にも慶喜らを新政府に参画させようとする勢力もありました。そのため、討幕派・徳川排除派である岩倉具視や薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが中心となって鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争へ突入していくことになりました。