岩倉具視(いわくら ともみ)は、中級貴族の出身で、幕末の公家として討幕・王政復古に尽力して、明治新政府の重鎮として活躍しました。安政元(1854)年孝明天皇の侍従となり、公武合体派として和宮降嫁を推進しました、一時近臣を余儀なくされましたが、討幕へと転回し、慶応3年12月(1868年1月)に大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめました。明治4(1871)年特命全権大使として岩倉使節団として欧米を視察し、欽定憲法制定の方針を確定しました。
ざっくり用語解説
岩倉具視
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