セミナリヨ(ポルトガル語: seminário)は、歴史用語で、1580年から1614年の間に日本に存在したイエズス会司祭・修道士育成のための初等教育機関(小神学校)のこと。
1579年、イエズス会の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父は、日本における布教の状況を視察すべく来日し、日本人の司祭・修道士を育成することが日本布教の成功の鍵を握るとみました。設置にあたって、織田信長の元を訪れ、新都市安土に土地を願ったところ、信長からすぐさま城の隣のよい土地が与えられ、1580年に安土のセミナリヨが完成しました。同じ時期、九州地区でもに同じようにセミナリヨがつくられました。
安土のセミナリオは、本能寺の変後に高槻に移転。さらに1587年の豊臣秀吉によるキリスト教禁教令によって、九州移転。最後は1614年の徳川家康による禁教令によって閉鎖されました。