第51代天皇。在位806‐809年。「へいぜい天皇」と読みます。桓武天皇の息子。女にだらしないという評判の天皇です。ちなみに桓武天皇までは生前の業績に基づいて天皇号の前につける部分を決めていましたが、平城天皇以降は退位後の在所などにちなんでつけられるようになることが多くなります。平城天皇は最期は平城京にいたので、それにちなんだ命名です。
桓武天皇から「こいつで天皇、大丈夫か?」と思われていたフシもあり、平城天皇の皇太子には、平城天皇の同母弟にあたる神野親王(のちの嵯峨天皇)とするように指示されます。平城天皇は病気のため、わずか3年で神野親王に天皇位を譲って上皇となり、即位した嵯峨天皇は兄、平城上皇の息子である高岳親王を皇太子に立てました。
平城上皇には、藤原式家の藤原仲成・薬子兄妹が近侍していて、譲位には反対でした。この二人の強い要請を受けて上皇は、権力掌握のために平城京への遷都を貴族たちに命じましたが、機先を制して行動した嵯峨天皇の前に敗北。平城上皇は剃髪して仏門に入って謹慎。仲成は処刑、薬子は自殺、息子の高岳親王は皇太子の地位を廃されてしまいました。(薬子の変)。
その後も平城上皇は平城京に滞在して、太上天皇の称号を許されて相応の待遇が保障されていたようですが、政治生命は完全に消失。824年に平城京でなくなりました。