米内光政(よない みつまさ)は、海軍出身の政治家です。連合艦隊司令長官(第23代)、海軍大臣(第19・24代)、内閣総理大臣(第37代)を歴任しました。
1940年(昭和15年)1月16日、阿部信行の後任として第37代内閣総理大臣に就任します。ヨーロッパでは第二次世界大戦の火蓋は切って落とされており、1940年5月にナチス・ドイツのフランス侵攻がスタート。なんとドイツは破竹の進撃を続けて翌6月には早々にフランスを降伏に追い込みました。
この勢いをみた日本陸軍は、日独伊三国軍事同盟の締結を目指しますが、一方の米内内閣は三国軍事同盟を結べば英米との戦争になると反対します。そのため、陸軍は米内内閣の倒閣の意図を明確に表し始めたのです。
陸軍は陸軍大臣を辞任させます。当時は軍部大臣現役武官制があったため、これにより1940年7月22日に米内内閣は総辞職に追い込まれました。後継政権として、首相経験のあった近衛文麿が再就任し、第2次近衛内閣が成立しました。
昭和天皇は「米内内閣だけは続けさせたかった。あの内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と、石渡荘太郎に語っていたと伝わっています。