近衛文麿(このえ ふみまろ)は、五摂家筆頭の近衛家出身の政治家です。様々な要職を歴任し、三度にわたって内閣総理大臣(第34・38・39代)も務めました。第1次近衛内閣では、盧溝橋事件からの日中戦争が発生。近衛声明や東亜新秩序などの対応をし、国家総動員法を施行しました。第二次・第三次近衛内閣では、自ら設立した大政翼賛会の総裁となり、外交政策では八紘一宇、大東亜共栄圏建設を掲げて、日独伊三国軍事同盟や日ソ中立条約を締結しました。太平洋戦争末期には独自の終戦工作も展開します。戦後、A級戦犯に指定され服毒自殺しました。