飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや、あすかきよみがはらのみや)は、7世紀後半の天皇である天武天皇と持統天皇の2代が営んだ宮。
672年の壬申の乱に勝利した大海人皇子が、天智天皇・弘文天皇の都であった近江国(滋賀県)の近江大津宮から飛鳥に都を戻すべく、この宮を造営しました。翌673年に大海人がこの宮で天武天皇として即位して以降、天武天皇とその夫人で次の天皇となった持統天皇が、20年以上に渡ってこの宮で律令国家の基礎を築く事業を進めたとされています。694年に藤原宮に遷都され、廃止されました。