第71代天皇。在位1068年‐1073年6月。第69代後朱雀天皇の第二皇子で、第70代後冷泉天皇の異母弟です。特筆すべきは、59代宇多天皇以来170年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇として即位しました。ママは禎子内親王(三条天皇と道長の娘の間の娘)。そのため、藤原道長の息子である頼通・教通兄弟との関係が悪く、皇太子時代には疎んじられていました。後三条天皇は即位をすると、藤原教通(道長の息子、頼通の弟)を関白にしましたが、反摂関家勢力も積極的に登用しました。さらに延久の荘園整理令を発布して、記録荘園券契所を設立。いままでの荘園整理令とは違って、緻密に整理を行った結果、基準を満たさない摂関家の荘園も没収しました。1073年1月に白河天皇に譲位して上皇となりましたが、同年6月に40歳で死去。
ざっくり用語解説
後三条天皇
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