ヴァリニャーニは、安土桃山時代から江戸時代初期の日本を訪れたイエズス会の宣教師、カトリック教会の司祭。イエズス会東インド管区の巡察師として活躍し、日本にもやってきました。日本に来着すると各地を訪れ、大友宗麟・高山右近・織田信長らと謁見します。特に、1581年に織田信長に謁見した際には、安土城を描いた屏風(狩野永徳作とされる)を贈られました。この屏風はその後、教皇グレゴリウス13世に献上されたんですが、現在は、行方不明となっています。これが見つかれば、安土城の様子を示す確かな手がかりとなるため、見つかって欲しいものです。また、ヴァリニャーニが従者として連れていた黒人を信長が召抱えたいと所望したために献上しました。この黒人は弥助と名づけられて信長の直臣となりなりました。ヴァリニャーニは、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施したことでも有名です。
ざっくり用語解説
ヴァリニャーニ
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