坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。
4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支え、二度にわたり征夷大将軍を勤めて蝦夷討伐・東北地方平定に大きな功績を残しました。
また、桓武天皇の死後、桓武の息子たちである平城上皇と嵯峨天皇が対立した「薬子の変」では政変を鎮圧して、嵯峨天皇の政権を安定させました。
最終官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。
死後は嵯峨天皇の勅命により平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、「王城鎮護」「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて神将や武神、軍神として信仰の対象となります。現在も武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの田村語り並びに坂上田村麻呂伝説が創出されました。