天竜寺船(てんりゅうじせん)は、京都の天竜寺を造営費用を捻出するために室町幕府公認で元へ派遣された貿易船のことです。
時は既に南北朝時代。南朝の後醍醐天皇が1339年に吉野の地で崩御すると、北朝の足利尊氏は敵味方の立場を超えて、後醍醐の菩提を弔うために、京都に天竜寺を創建することを決めました。しかし、成立間もない室町幕府は南朝との戦いで財政的に逼迫した状況だったため、造営費を出せませんでした。そこで、鎌倉幕府の建長寺船などの例にならって、貿易船を元に派遣することにしました。天竜寺船は大きな利益を上げることができ、その利益で天竜寺を造営することができました。