淡海 三船(おうみ の みふね)は、奈良時代後期の皇族・貴族・文人。始め御船王を名乗るが、臣籍降下して淡海真人姓となりました。弘文天皇の曽孫。
聡明で鋭敏な性質で、多数の書物を読破し文学や歴史に通じていました。また書を書くことを非常に好み、奈良時代末期に文人として後述の石上宅嗣と双璧をなし、「文人の筆頭」とされました。
若いときに唐人の薫陶を受けたこともあり、外典・漢詩にも優れていました。『経国集』に漢詩5首を載せ、現存最古の漢詩集『懐風藻』も淡海三船が撰者であるとする説が有力です。
また、淡海三船が、初代神武天皇から日本書紀の対象である第41代持統天皇までの歴代全天皇(当時は帝に数えられていなかった曽祖父の弘文天皇を除く)の漢風諡号を一括撰進したとされています。
我々が推古天皇とか呼んでいるのは、この淡海三船がそういう名前に決めたんですね。そういう意味では、日本の歴史に与えた影響がめちゃくちゃデカイわりに知名度は低い人物ともいえます。