「いそのかみ の やかつぐ」
経書・歴史書を大変好み、幅広い書籍に通じ、文を作ることも好んで、草書・隷書とも上手だったと伝わる文化人。漢詩も上手で、風景山水に出会うたびに詩文の主題とした風流の人。『経国集』に作品が収められていて、淡海三船と並んで文人の筆頭と称されました。
その一方で、政争激しい奈良時代において、当時権力を握っていた藤原仲麻呂を除こうとして失敗、764年正月に大宰少弐として大宰府に左遷される経験も持っています。左遷されたものの同年9月に発生した藤原仲麻呂の乱によって、藤原仲麻呂が敗死・失脚すると、復権しました。
その後は、時代の節目節目で政局を見誤らずに出世を果たし、最終的には大納言に昇進し、右大臣・内大臣に次いで、第三位の席次にまで上り詰めました。