島津 義久(しまづ よしひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、薩摩の戦国大名。島津氏第16代当主。島津氏の家督を継ぎ、薩摩・大隅・日向の三州を制圧します。その後も耳川の戦いにおいて、当時九州最大の戦国大名であった大友氏に大勝。さらに、沖田畷の戦いでは九州西部に強大な勢力を誇っていた龍造寺氏を撃ち破り、九州制覇の勢いを見せました。筑前・豊後の一部を除く九州の大半を手中に収め、島津氏の最大版図を築きましたが、豊臣秀吉の九州征伐を受けて降伏。結果、本領である薩摩・大隅2か国と日向諸県郡のみが安堵されました。豊臣政権・関ヶ原の戦い・徳川政権を生き抜き、隠居後も家中に強い政治力を持ち続けました。
ざっくり用語解説
島津義久
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