藤原頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿、藤原北家、摂政・太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣を歴任しました。
父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受けながら政治に携わります。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇、後冷泉天皇の治世にて、関白を50年の長きに亘って務め、父・道長と共に藤原氏の全盛時代を築き上げました。その栄華を現代に伝えているのが、宇治にある、頼通が造営した平等院鳳凰堂です。
藤原北家の権力の源泉は、「外孫」を天皇にするという血縁によって生み出されていました。道長は娘に恵まれ、その娘たちが皇子を生んでくれましたが、頼通が天皇の后にした娘には男子が恵まれませんでした。そのため、頼通の晩年には藤原北家を直接の外戚としない後三条天皇(パパ後朱雀天皇、ママ禎子内親王(三条天皇と道長の娘の間の子))が即位。摂関家の権勢は衰退へ向かい、やがて院政と武士が台頭する時代へと移っていくことになりました。