井上準之助(いのうえ じゅんのすけ)は、日本銀行総裁や大蔵大臣を歴任した政治家です。帝国大学卒業後に日本銀行に入行。日銀では高橋是清の知遇を得て昇進。ニューヨークへの転勤を経て、横浜正金銀行に招かれ、その後高橋是清の計らいで日銀総裁に就任しました。日銀総裁時代に起きた昭和金融恐慌(1927年)を高橋蔵相とともに混乱の収拾にあたり、財界からの信任を得ました。1929年には浜口雄幸内閣の大蔵大臣となって、金輸出解禁と緊縮財政政策を推進しました。しかし、国内の不況を招いたことから、命を狙われ、1932年2月に暗殺されてその生涯を終えました。