ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

日本史の学び直し.com

  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
ラジレキ

源義家

源義家(みなもと の よしいえ)は、平安時代後期の武将。源頼義の長男。八幡太郎の通称でも知られます。後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たり、源氏の棟梁として後年神化されます。

父ともに前九年合戦に従軍。以降も地方官を歴任したのち、白河天皇の護衛として京都でも活躍をします。1083年に陸奥守となり、現地に赴任すると現地有力豪族である清原氏の内紛に介入して後三年合戦を起こします。義家は、朝廷に事後承認を求めますが朝廷はこれを義家の「私戦」(義家が私的に勝手にやった戦闘)と整理し、何ら恩賞を下しませんでした。ここで義家は、配下の郎党たちに自腹を切って、その功績に報いたことから、東国における源氏の声望が大いに高まり、後の源頼朝の鎌倉幕府樹立へと繋がっていくことになります。後三年合戦の後、約10年の間、義家は逼塞状態でしたが、1098年に白河法皇の意向で院昇殿を許されました。生前の極位は正四位下。

義家からは頼朝に繋がる源氏嫡流の流れだけでなく、室町時代に征夷大将軍となる足利氏の系統も生まれました。また、義家の弟の新羅三郎義光からは、甲斐源氏すなわち武田信玄の系統が生まれました。

関連する学び直しノート