平安時代後期の陸奥国(東北地方)で起こった戦い。源頼義(源義家のパパ。源頼朝の5代前の先祖。)が陸奥守(東北地方太平洋側の国司)として東北地方に赴任し、当初は従い、のちに反目した安倍氏を倒し、源氏の勢力が東国で広がる契機となりました。
ちなみに合戦の名称ですが、『愚管抄』などでは、元々は「奥州十二年合戦」と呼ばれていましたが、『保元物語』・『源平盛衰記』・『太平記』などでは「前九年の役」の名称で記されて、それが一般化して現在に至ります。なぜ「9年」になったかは、源頼義が本格介入した年を基準として戦乱を9年間と計算したという説や、「奥州十二年合戦」が「後三年の役(1083年-1087年)と合わせた名称」と誤解され、12年から3年を引き、前段について「前九年の役」と呼ぶようになったなどの説があります。