山部赤人(やまべ の あかひと)は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。
その経歴は定かではなく、『続日本紀』などの正史に名前が見えないことから、下級官人であったと推測されています。聖武天皇時代の宮廷歌人だったと思われます。同時代の歌人には山上憶良や大伴旅人(大伴家持のパパ)がいて、『万葉集』には長歌13首・短歌37首が、『拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に49首が入っています。
柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられていて、紀貫之も『古今和歌集』の仮名序において、「人麿(柿本人麻呂)は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」と高く評価しています。
「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」(百人一首)