大伴家持(おおとも の やかもち)は、奈良時代の公卿・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。
『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いですが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父、安麻呂、父、旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、延暦年間(782‐806年)に中納言にまで昇進しました。
没した直後に、藤原種継暗殺事件が造営中の長岡京で発生。家持も関与していたとされて、追罰として、埋葬を許されず、官籍からも除名されましたが、没後20年以上経過した806年に恩赦を受けて従三位に復しました。