桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国知多郡桶狭間での織田信長軍と今川義元軍の合戦。2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が義元の本陣を攻撃し、今川義元を討ち取りました。この結果、東海地方を制圧していた今川家が没落する一方、松平元康(徳川家康)は三河(愛知県東部)で独立を回復して信長と清洲同盟を締結し、信長は尾張(愛知県西部)を完全統一したうえ、背後から襲われる心配がなくなり、美濃(岐阜県南部)への進出、そして畿内進出へとステップアップするきっかけとなりました。
この戦いは、いまなお研究が進められており、実際には「桶狭間」ではなく、「田楽狭間」だったのではないか、奇襲だと思われていたが、正面攻撃だったのではないかと合戦の実態を巡っての議論が進んでいます。