後藤象二郎(ごとう しょうじろう)は、幕末の土佐藩士で、明治時代には民権家として活動します。土佐藩上士(上級武士)の家系で、山内豊信に登用されて藩政の実権を握ります。土佐脱藩志士である坂本竜馬の公議政体論に賛同し、大政奉還すべきだと徳川慶喜に進言するkとおを山内豊信に説きました。維新後は新政府内で要職につきましたが、明治6(1873)年征韓論問題で参議を辞任。板垣退助らと民撰議院設立建白書を提出して自由党の結成に加わりました。明治20年(1887年)に大同団結運動を展開。明治22年(1889年)には黒田内閣で逓信相となりました。その後第1次山県、第1次松方各内閣に留任。第2次伊藤内閣では農商務相と、閣僚を歴任しました。
ざっくり用語解説
後藤象二郎
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