三善康信(みよし の やすのぶ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の公家で、菅原道真と対立した三善清行の子孫です。この頃は、三善家は算道に明るい家柄で、太政官の書記官役を世襲する下級貴族でした。三善康信の母が、頼朝の乳母の妹という縁があり、頼朝が流人時代から交流がありました。頼朝が鎌倉に本拠を置いて、勢力が安定化した1184年に康信は鎌倉に呼ばれて、問注所の執事(長官)になることを依頼されて承諾しました。頼朝の死後は、「鎌倉殿の13人」の1人として、鎌倉幕府の合議体制に参加。承久の乱の際には病身を押して会議に参加して、大江広元とともに即時出兵論を支持しました。
ざっくり用語解説
三善康信
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