大江広元(おおえ の ひろもと)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての貴族。はじめは朝廷に仕える下級貴族(官人)でしたが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、大公文所(後の政所)の初代別当(長官)を務め、幕府創設にあたって組織面を中心に大きく貢献しました。なお、頼朝の位階は正二位に対し、他のメンバーは最高でも従五位下止まりという極度に隔絶した身分関係にある中、鎌倉政権への参入以前に既に従五位下であった広元のみは早くから正五位の地位にあり、名実とも一歩抜きん出たナンバーツーの地位が示されていました。頼朝死後も、最高実力者である執権・北条義時を上回る正四位を得ていて、少なくとも名目的には将軍に次ぐ存在として遇されていたと思われます。長老って感じの人ですね。
「文」とか「政治」とかの人に思えますが、頼朝の死後は、「鎌倉殿の13人」の1人として、鎌倉幕府の合議体制に参加。ここまでは違和感ないと思いますが、承久の乱の際には即時出兵論を主張しました。なかなか熱血漢というか強硬派な側面もありました。鎌倉幕府を盤石なものにしたいという強い意志を感じます。