問注所(もんちゅうじょ)は、鎌倉幕府・室町幕府に設置された訴訟事務を所管する機関のこと。「問注」とは、訴訟等の当事者双方から審問・対決させること、あるいはその内容を文書記録することを意味します。平安期には問注を行うための特定の場所・機関は定められていませんでしたが、鎌倉幕府においては問注を行う場所として問注所を設置しました。設置は1184年のことです。初代問注所執事(長官)には、三善康信が任命され、以降、問注所執事は鎌倉・室町期を通じて三善氏が世襲していきます。
ざっくり用語解説
問注所
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